« 古来より神事等に使用されてきた灯油(ともしびあぶら) | メイン | 日本政府は明治維新の攘夷運動 »

日本のテーブルトークRPG

この「新和時代」においてのD&Dの広がりに貢献したのがグループSNEである。グループSNEは翻訳や製品の開発こそしなかったものの、小説『ドラゴンランス戦記』の翻訳や、リプレイ『ロードス島戦記』の連載など、メディアミックス方面においてD&Dの精力的な紹介活動を行っていった。

新和のD&Dは好調に展開し、1980年代はテーブルトークRPGといえばD&Dが代名詞になるくらいに日本でも独占的なシェアを持つにいたったが、1989年の『ソードワールドRPG』の販売をきっかけに日本のテーブルトークRPGに安価で手軽な文庫形態のゲームが多くなってくると状況は変化する。新和のD&Dはコストの高さから初心者へのエントリーゲームとしての地位を序々に失っていくことになり、1990年代にはユーザーの間でのD&Dの位置付けが「中級者以上のマニア向けゲーム」というものにシフトしていく。新和自体も販売戦略を中級者以上向けにシフトし、サプリメントなどは序々にヘビーユーザー向けなものが増えていった。これが結果的に良い方向に傾き、多くのライバル国産ゲームが出てくる中でも、国産ゲームとは雰囲気の異なる「洋ゲー」風味のコアな製品のラインナップに一定のファン層をD&Dは掴みつづけることになる。

しかし1991年に新和が始めた『アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(原書での『AD&D 2nd』)の翻訳販売が上手くいかず、日本におけるD&Dの展開は急速に下降線をたどる。この失敗の要因については多数あるが、今までのD&DユーザーをAD&Dに上手く移行させられなかったことも大きいとも言われる。新和は今までのD&Dファンが何も言わずともAD&Dに移行することを目論んでAD&Dを契機にそれまでのクラシックD&D路線を全て打ち切ってしまったのたが、D&Dユーザーの多くは、今まで集めてきたクラシックD&Dのサプリメントの資産やルールのノウハウが使用できないAD&Dには簡単には移行できなかったのである。そしてクラシックD&Dの性急な打ち切りは、それまでのユーザーの多くをD&Dから遠ざけるきっかけになってしまった。

結局、新和はAD&Dのごく基本的な製品(コアルール)を翻訳した後はサプリメントも「ファイターハンドブック」「キャンペーンガイド」の二冊を出したのみで市場から完全に撤退してしまった。クラシックD&D以上に豊富なサプリメントがAD&Dの売りであったため、これはAD&Dを期待していたファンにとっても残念な結果と言える。特にシナリオ集もキャンペーンセッティングも出版されなかったため、実際のプレイに必要な環境を揃えきれたとは言えないものとなってしまっている。

D&D関係の展開はその後空白期を迎え、それから三年後にメディアワークスによるD&D翻訳が始まることになる。

銀の ピエ 明日 ひとり ひと 明日 ビルの 明日 ファ 木星 ファ 夜の ファ プラ 約束 ブルー 夕日 風を ブル 予想 ブレ 陽炎 プレ ベイ 旅人 べに 旅立 ペン 春よ 恋す ベン 恋の ボー ぼく 恋の マー マイ 路面 また 六月 マド マニ 優しい マリ 永遠 風の メモ サボ 渚の

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.nmypwc.biz/blog/mt-tb.cgi/270

About

2008年11月26日 10:03に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「古来より神事等に使用されてきた灯油(ともしびあぶら)」です。

次の投稿は「日本政府は明治維新の攘夷運動」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35