« 2008年12月 | メイン | 2009年02月 »

2009年01月 アーカイブ

2009年01月01日

対バジュラ戦(マクロスF)

2048年 - 第117次大規模調査船団(旗艦SDF-4グローバル)が謎の異星生命体バジュラに襲われ壊滅。
2059年
3月 - マクロス・フロンティア船団に「銀河の妖精」ことシェリル・ノームが来訪。コンサート当日、マクロス・フロンティア船団をバジュラが襲う。<マクロスF第1話>

マクロスII版
2012年のメガロード-01出発後、地球には10年おき位にゼントラーディ基幹艦隊が来襲するが、歌による防衛網(ミンメイディフェンス)で退ける。地球文明は繁栄期を迎えるが、文化の力を過信する風潮も生まれる。

2036年 - カムジンに手引きされ、ミンメイアタックを無効化するヌェルド艦隊が襲来。マックス、ミリア夫妻の長女コミリア・マリア・ジーナスらが属する訓練部隊がVF-1Rで出撃。<超時空要塞マクロス2036>
2037年 - 再びカムジンとともにプラド基幹艦隊が来襲。<超時空要塞マクロス 永遠のラブソング>
2054年
5月6日- マクロス級移民船ミリオンスター、ログェス基幹艦隊の攻撃で撃沈。
12月 - 冥王星軌道上にてブリタイ艦隊とミンメイアタックを中心に迎撃し、ログェス艦隊を撃退。
2072年 - VF-2バルキリーIIシリーズ一号機ロールアウト。
2081年 - 宇宙空間用VF-2SS配備開始。
2086年 - 大気圏内用VF-2JA配備開始。
2090年代 - ゼントラーディとは異なる種族マルドゥークが来襲。歌が通用しない勢力の出現で人類は再び存亡の危機に瀕する。<マクロスII -LOVERS AGAIN ->

アドバンスト・バルキリー(Advanced Valkyrie)
1985年末、誌上で告知されたバンダイの模型企画。ガンプラのMSVにあたるスピンオフシリーズだが、プランナーの河森はマクロス世界外における可変戦闘機のバリエーション展開を構想していた。21世紀初頭、北米で活動する可変戦闘機テストチームNOVAの物語に並行してプラモデルを発売する予定で、5機種のデザインイラストや試作見本も公表されたが[10]、その後進展がなく商品化は頓挫した。
厳密にはマクロスシリーズの企画ではなかったが、可変戦闘機のバリエーション構想は『マクロスプラス』以降で結実する。幻のデザインとなったVF-X-11やVF-3000も、2001年発売のゲーム『マクロスM3』で陽の目を見た(VF-X-11はVF-9に改名)。河森はその後もマクロスのタイトルを外した可変戦闘機ものを作ってみたいと語っている。[7]
ハリウッド実写映画
1994年、マクロスシリーズの新展開に先立ち「4大プロジェクト」が発表され、OVA(マクロスプラス)、テレビシリーズ(マクロス7)、両作品の劇場版に続き「ハリウッドでの実写特撮映画化を準備中」と告知された。『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』をベースに歌をテーマにした作品で、アメリカでシナリオ検討段階まで至ったものの、実現しなかった。
なお現在、『マクロス』『サザンクロス』『モスピーダ』を再編集した米国版『ロボテック』の実写映画化がワーナー・ブラザーズにより進められている。
マクロス3D(仮)
1999年末に製作発表されたOVA作品。制作はマクロス関連のゲームムービーや『マクロス ダイナマイト7』のOPを手がけたゴンゾ。メカニック、キャラクターを含めフル3DCG作品という触れ込みで、2000年にデモ映像が公開された。しかしその後進展がなく、2002年に『マクロスゼロ』が発表されてからは「3DCG表現の可能性を探るためのテストピース」と説明されるようになった。なお、デモ映像は「マクロス3D VFX」というタイトルでDVD『マクロス20周年プレミアムコレクション』に収録されている。
(主要スタッフ)原案・メカニックデザイン・総監修:河森正治 監督:もりたけし 脚本:佐藤大 キャラクターデザイン:ソネハチ メカニックデザイン・美術設定:宮武一貴

ランド ドトラスト ジャム ガザニア マンホー ヒナガ ピンワ サテン ナスダック マクロ フォト ソンロ フラノ ロゴン もせう リアージ トポグ ロフィー ガスタン ぜんだな イコール ミサ全国 ジャンプ ハロー ロスジ ウィジ おおつち リヨン ビスタ ドッグ フォーカス トトカル トギザ ダリ タオル ッドカード ドーピ ダブル ライオ モブログ スノー くしろ エンド スノース バヌアツ ビラリー バスルガ チュリエ テーマソン リンド

2009年01月06日

出演者とスタッフ

ラジオ放送を行なっていたNHKと民放テレビ局は、ラジオドラマを制作するために自前の放送劇団を組織して専属の俳優を持っていた。テレビの草創期は芸能プロダクションが未発達だったこともあり、その初期はラジオ時代と同様にNHKが自前でタレントを養成して、ドラマやバラエティに出演させた。また、五社協定により映画会社所属の俳優のテレビ出演に制限があったため、新劇の俳優を多く使ってきた。その後は、芸能プロダクションが隆盛。養成機関で演技の訓練を受けていないタレントがドラマに出演したり、人気俳優を抱えるプロダクションが、配役に影響力を及ぼすことも多い。
1990年代後半から、出演する俳優・タレントは徐々に低年齢化する傾向にあり、ことにゴールデンタイムのドラマにおける主力女優は20歳前後が中心になっている。そのために演技力に疑問符のつく作品も見られるようになった。無理な脚本や現実にはありえない設定などから、作品そのものの評価が低いケースもある。視聴者も若年層に偏る傾向にあり、かつてのように国民的な人気を博すドラマは出にくくなっている。
一連の柴門ふみ原作ドラマに見られるように、人気コミックのドラマ化は以前から行われ、好評を博すケースもあった。近年はことにその比率やヒット作の割合が多く、存在感を増している。人気漫画を原作にすれば、小説と比べても数の多い漫画のファン層の確実な視聴を望めるうえ、コミックの販売部数の増加も期待できるなどの相乗効果が指摘されている。その一方で、オリジナルドラマを軽視する傾向は、若手脚本家の育成につながらないとの指摘もあり、安易なコミック原作への依存には批判も多い。
原作をドラマ化するにあたって、原作の登場人物の名前や性別を変更することがあるが、原作を軽視しているとして原作ファンからの批判が多い。
最近では、制作局のアナウンサーが出演することが多くなってきている。本業であるニュースキャスターやレポーターで本人役というケースもあれば、まったく違う役柄で出演することもある。この場合の大半は、出演するアナウンサーがレギュラーを受け持つ情報番組でドラマ宣伝する意図もある。
近年では、放送日当日(週末なら金曜日)の朝の情報ワイドショー番組から夕方の報道番組にゲスト出演をはしごして、番組宣伝をするケースが多い。
アメリカ人プロデューサーであるデーブ・スペクターは、日本のテレビドラマについて「演技も良くないし、物語に工夫がない」とし、その理由として「力のあるプロフェッショナルが売り込む俳優を使わざるを得ない業界構造がある」と述べている

ドリマックス・テレビジョン - 松竹の映画監督木下惠介が、1964年に「木下惠介プロダクション」として創立。
テレビマンユニオン - TBS出身者が1970年に創立。
国際放映 - 前身は映画会社新東宝。現在は東宝の傍系。同じく世田谷区にスタジオを構える。
東映 - テレビ部門を持つ。テレビ朝日の大株主で開局時より関係密接だが、他局とも積極的に提携。京都撮影所では時代劇やサスペンス、東京撮影所では特撮、刑事ドラマを得意とする。
共同テレビ - フジテレビの子会社。元はニュース専門制作会社だったが、バラエティやドラマにも進出した。
東宝 - 映画会社であるが、日本テレビの土曜ドラマの製作を行っている(『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』など)。世田谷区に日本最大の撮影所を持ち、70年代まではたとえ閑古鳥が鳴いても原則ここを映画にしか使わせなかった(TV映画を東宝で受注しても国際放映などに孫受けさせた)が、近年は一転してバラエティでさえ使用可となっている。
C.A.L. - 時代劇を主とする。代表作は『水戸黄門』。東映京都撮影所に孫受けさせる例が多い。
大映テレビ - 1970年にTBS系列で放送した「赤いシリーズ」や、1980年にTBS系列、フジテレビ系列で放送した「少女シリーズ」(『スチュワーデス物語』、『ヤヌスの鏡』など)といった代表作を生み出した。現在はほとんど、フジテレビとテレビ朝日の2時間ドラマなどで製作に関わっている。

どうぼう みんな一緒 バドガエル タッフバグ パノラマ リージング おぜいゆ野 しうり ヘチマ フジ情報 ブラッド スパーリ キーマン ミール モグタ ピテクス レンギ わっかない ローファー ハード ミネソタ レニン グルユース タリン オクラ ドライスキ ミネル シーケー チェリスト ミカン リーブ アフリカ じょべーぜ ガジェット ラブロマ ボール バジェ ヌーディズ スコタイ チャイナス タイプミス みねばり フランク タンジ ピメント プロフェッ ミント タイル 月曜日 ノルレボ

2009年01月13日

ドラえもん のび太の恐竜2006

『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。だが『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として岡田康則(単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。単行本は全2巻。

短編との違い
大長編ドラえもんは映画化を前提に描かれており、短編に比べて物語の規模が大きいのが特徴。短編では狭い町内を舞台に数人の友達だけで物語が進むことが多いが、このシリーズでは大昔の地球や他の惑星といった非日常の世界を舞台に、その世界の住人や強力な敵などさまざまな人物が登場する。いつもはダメな少年のび太が大長編では大活躍し[28]、ジャイアンもいじめっ子としてよりも頼れるいいやつとしての表現が顕著になる。また、スネ夫は基本的に5人の中で1番の弱虫になっている。

このシリーズでは主要なメンバーがのび太、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人に固定されており、基本的に5人とその話のゲストキャラを含めた自力で危機を解決し、この5人以外の現在の地球人が問題解決の本筋に介入することはない。こうした事情のため、短編とは人間関係がやや異なる。たとえば、短編ではジャイアンやスネ夫がのび太をバカにしたり仲間はずれにした仕返しに(ここまでは大長編でも導入によく使われる)、2人(特にジャイアン)を仲間はずれにして、しずかや他の町の同級生たちと道具で遊ぶことがある。しかし、大長編ではジャイアンを締め出そうとして失敗することはあっても、結局は仲間になる。逆に、短編なら不特定多数の町の子供を誘うような場合でも、大長編では「いつもの5人」以外の町の子供は仲間に入れようとせず、興味を持たれると嘘を吐いてまでして追い返している(『ドラえもん のび太の日本誕生』、『ドラえもん のび太と雲の王国』)。

のび太のママを始め、のび太たちの親は基本的にはのび太たちの冒険に気付いていない。ただし、『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』にてピリカ星のパピをかくまったときは、のび太の両親も受け入れているため、異星人を認知したことになる。また、遺作となった『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』では、のび太たちが過去に「危険な大冒険」をしていたことに気付いており、他の母親と一緒に、のび太たちが冒険に興じてないか様子を見に来る描写がある。

作品一覧
てんとう虫コロコロコミックス 大長編ドラえもん
大長編ドラえもん VOL.1 のび太の恐竜
1983年12月25日初版発行 (ISBN 4091406025)
大長編ドラえもん VOL.2 のび太の宇宙開拓史
1984年3月25日初版発行 (ISBN 4091406033)
大長編ドラえもん VOL.3 のび太の大魔境
1985年9月25日初版発行 (ISBN 409140605X)
大長編ドラえもん VOL.4 のび太の海底鬼岩城
1983年6月25日初版発行 (ISBN 4091406017)
大長編ドラえもん VOL.5 のび太の魔界大冒険
1984年10月25日初版発行 (ISBN 4091406041)
大長編ドラえもん VOL.6 のび太の宇宙小戦争
1985年11月25日初版発行 (ISBN 4091406068)
大長編ドラえもん VOL.7 のび太と鉄人兵団
1987年2月25日初版発行 (ISBN 4091406076)
大長編ドラえもん VOL.8 のび太と竜の騎士
1988年6月25日初版発行 (ISBN 4091406084)
大長編ドラえもん VOL.9 のび太の日本誕生
1989年8月25日初版発行 (ISBN 4091406092)
大長編ドラえもん VOL.10 のび太とアニマル惑星
1990年11月25日初版発行 (ISBN 4091406106)
大長編ドラえもん VOL.11 のび太のドラビアンナイト
1991年8月25日初版発行 (ISBN 4091417515)
大長編ドラえもん VOL.12 のび太と雲の王国
1994年7月25日初版発行 (ISBN 4091417523)
大長編ドラえもん VOL.13 のび太とブリキの迷宮
1993年8月25日初版発行 (ISBN 4091417531)
大長編ドラえもん VOL.14 のび太と夢幻三剣士
1994年9月25日初版発行 (ISBN 409141754X)
大長編ドラえもん VOL.15 のび太の創世日記
1995年9月25日初版発行 (ISBN 4091417558)
大長編ドラえもん VOL.16 のび太と銀河超特急
1996年9月25日初版発行 (ISBN 4091417566)
大長編ドラえもん VOL.17 のび太のねじ巻き都市冒険記
1997年9月25日初版発行 (ISBN 4091417574)

ネオクラ スタンド タックイン グッピー べにま おおつち シモツ タンリム スカッシュ シャイ ネオコン マンハント タロ芋 ダスド チューハイ トーナル けまり ミトン ヒュミント よめな ブレンド ベローズ マラン バッジ ブラック クロチ 街道の扉 フィック ピステ トライ ボーイ カキド ルイベ フルオート プロタミン シャント ロジック ビバーク ワルフ カレンシー ション イワヒバ ファーコ ネメシス ネオカ 影の館 グリー ボンボン ヒーター ドゥー炉

2009年01月20日

弁論部に在籍した著名人

首相経験者
氏名 役職 出身 備考
広田弘毅 元首相 第一高等学校・東京大学弁論部 旧第一高等学校
近衛文麿 元首相 学習院大学輔仁会弁論部 旧官立学習院
芦田均 元首相 第一高等学校・東京大学弁論部 緑会弁論部
石橋湛山 元首相 早稲田大学雄弁会
三木武夫 元首相 明治大学雄弁部
竹下登 元首相 早稲田大学雄弁会
海部俊樹 元首相 中央大学辞達学会・早稲田大学雄弁会 第1回総理杯弁論大会優勝
小渕恵三 元首相 早稲田大学雄弁会
森喜朗 元首相 早稲田大学雄弁会 元雄弁会副幹事長

衆議院議長経験者
氏名 役職 出身 備考
秋田清 元衆院議長 日本大学雄弁会
大野伴睦 元衆院議長 明治大学雄弁部
山口喜久一郎 元衆院議長 早稲田大学雄弁会
中村梅吉 元衆院議長 法政大学弁論部
前尾繁三郎 元衆院議長 第一高等学校・東京大学弁論部

現職衆議院議員
氏名 役職 所属 出身 備考
渡部恒三 元衆院副議長 民主党 早稲田大学雄弁会 第一回学生国会「総理大臣」
津島雄二 元厚相 自民党 第一高等学校・東京大学弁論部
深谷隆司 元通産相 自民党 早稲田大学雄弁会
玉澤徳一郎 元防衛庁長官 自民党 早稲田大学雄弁会
島村宜伸 元農相 自民党 学習院大学輔仁会弁論部 第二回学生国会「代議士会長」
伊藤公介 元国土庁長官 自民党 法政大学弁論部
額賀福志郎 元防衛庁長官 自民党 早稲田大学雄弁会
村上誠一郎 元規制改革相 自民党 第一高等学校・東京大学弁論部
岩屋毅 元防衛長官政務官 自民党 早稲田大学雄弁会
柳本卓治 元労働政務次官 自民党 早稲田大学雄弁会 元雄弁会幹事長
山本有二 金融担当相 自民党 早稲田大学雄弁会
安住淳 民主党 早稲田大学雄弁会
大島敦 民主党 早稲田大学雄弁会
川内博史 民主党 早稲田大学雄弁会
下村博文 官房副長官 自民党 早稲田大学雄弁会 全関脱退時の雄弁会幹事長
古川元久 民主党 第一高等学校・東京大学弁論部
松原仁 民主党 早稲田大学雄弁会
木村勉 元内閣府政務官 自由民主党 慶應義塾大学弁論部
前田雄吉 民主党 慶應義塾大学弁論部
泉健太 民主党 立命館大学弁論部 元全日本学生弁論討論交流会会長
秋葉賢也 自民党 中央大学辞達学会 元辞達学会幹事長
菅原一秀 自民党 早稲田大学雄弁会
赤池誠章 自民党 明治大学雄弁部 元全関東学生雄弁連盟(全関)委員長
市村浩一郎 民主党 一橋大学弁論部逍遥遊会 初代部長
林潤 自民党 慶應義塾大学弁論部

現職参議院議員
氏名 役職 所属 出身 備考
青木幹雄 党参院議員会長 自民党 早稲田大学雄弁会 元雄弁会幹事長
吉川春子 党参院議員団長 共産党 中央大学辞達学会
木俣佳丈 無所属 一橋大学弁論部逍遥遊会
小林温 経産政務官 自民党 早稲田大学雄弁会
西岡武夫 元文相 民主党 早稲田大学雄弁会
荒井広幸 新党日本 早稲田大学雄弁会 元雄弁会幹事長
秋元司 自民党 大東文化大学大東雄弁会(現在は廃部) 全関役員を解職される

現職地公体首長
氏名 役職 出身 備考
上田清司 埼玉県知事・元衆院議員 法政大学弁論部
古田肇 岐阜県知事・元外務省経済協力局長 第一高等学校・東京大学弁論部
阿部孝夫 川崎市長・元法大教授 第一高等学校・東京大学弁論部 元東大総長杯弁論大会審査員
岩浅嘉仁 徳島県阿南市長・元衆院議員 早稲田大学雄弁会
石田芳弘 愛知県犬山市長 同志社大学弁論部(現在は廃部)
三上元 静岡県湖西市長 慶應義塾大学弁論部
山田良司 岐阜県下呂市長 早稲田大学雄弁会
長友貴樹 東京都調布市長 慶應義塾大学弁論部
斉藤滋宣 秋田県能代市長・元参院議員 中央大学辞達学会
長峯誠 宮崎県都城市長 早稲田大学雄弁会
青木英二 東京都目黒区長 慶應義塾大学弁論部

元職国会議員(故人含む)
氏名 役職 出身 備考
麻生久 元衆院議員 第一高等学校・東京大学弁論部 緑会弁論部
赤松克麿 元衆院議員 第一高等学校・東京大学弁論部 緑会弁論部
浅沼稲次郎 元社会党委員長 早稲田大学雄弁会
緒方竹虎 元副総理 早稲田大学雄弁会
石田博英 元労相 早稲田大学雄弁会
一松定吉 元逓信相 明治大学雄弁部
稲葉修 元法相 中央大学辞達学会
犬養健 元法相 学習院大学輔仁会弁論部 旧官立学習院
大久保伝蔵 元衆院議員 中央大学辞達学会
風見章 元司法相 早稲田大学雄弁会
狩野勝 元厚生政務次官 中央大学辞達学会
鍛冶良作 元大蔵政務次官 明治大学雄弁部
加藤勘十 元労相 日本大学雄弁会
河上丈太郎 元社会党委員長 第一高等学校・東京大学弁論部 緑会弁論部
菊池福治郎 元衆院議員 早稲田大学雄弁会
喜多壮一郎 元衆院議員 早稲田大学雄弁会
木村武雄 元建設相 明治大学雄弁部
倉石忠雄 元農相 法政大学弁論部
小泉俊明 元衆院議員 早稲田大学雄弁会
小島静馬 元通産政務次官 早稲田大学雄弁会
小林多門 元衆院議員 明治大学雄弁部
小林進 元衆院議員 中央大学辞達学会
斎藤隆夫 元国務相 早稲田大学雄弁会
笹森順造 元国務相 早稲田大学雄弁会
早速整爾 元蔵相 早稲田大学雄弁会
佐藤観樹 元自治相 早稲田大学雄弁会 元全関委員長
浜千鳥 トーイング オープ ロースト キャリア サード ハワイ国内 ウィフト センシー パック クガイソウ ナイフ 蒼い時刻 ソムリ フレキシ ダーク チリパ ムクゲ ファイヤー フット スピロ フライ アイス ダビング 恋のもだえ マカルー ヒナゲシ かご ロード ヤツデ いまどき いかだし マラヤ ウルナビ プレーヤー パーテ ダイアル ガイドつげ マッチ ジハード スタック ソーダ ビーナス キンシャ トクルフト パテントレ フェオ うみう ジクス フェニキア

四宮久吉 元衆院議員 明治大学雄弁部
薩摩雄次 元衆院議員 拓殖大学雄弁会
志賀健次郎 元防衛庁長官 早稲田大学雄弁会
椎熊三郎 元衆院副議長 中央大学辞達学会
島村一郎 元衆院議員 中央大学辞達学会 島村宜伸の父
鈴木正吾 元参院議員 明治大学雄弁部
須磨弥吉郎 元衆院議員・駐スペイン公使 中央大学辞達学会
高津正道 元衆院副議長 早稲田大学雄弁会
武知勇記 元郵政相 明治大学雄弁部
田万清臣 元衆院議員・労働運動家 京都大学弁論部(現在は廃部)
塚本三郎 元民社党委員長 中央大学辞達学会
手塚仁雄 元衆院議員 早稲田大学雄弁会
徳田球一 元共産党書記長 日本大学雄弁会
長野祐也 元衆議院議員 中央大学辞達学会
中村三之丞 元運輸相 早稲田大学雄弁会
中村高一 元衆院副議長 早稲田大学雄弁会
成瀬守重 元法務政務次官 早稲田大学雄弁会
楢橋渡 元運輸相 中央大学辞達学会
西田隆男 元行管庁長官 早稲田大学雄弁会
野田武夫 元自治相 早稲田大学雄弁会
橋本登美三郎 元運輸相 早稲田大学雄弁会
橋本龍伍 元厚相 第一高等学校・東京大学弁論部
長谷川峻 元法相 早稲田大学雄弁会
平野力三 元農相 拓殖大学雄弁会・早稲田大学雄弁会
藤波孝生 元内閣官房長官 早稲田大学雄弁会 元全関副委員長
降旗徳弥 元逓信相 早稲田大学雄弁会
牧野聖修 元法務政務次官 中央大学辞達学会
松永光 元蔵相 早稲田大学雄弁会
松村謙三 元文相 早稲田大学雄弁会
真鍋儀十 元衆院議員 明治大学雄弁部
三宅正一 元衆院副議長 早稲田大学雄弁会
三塚博 元蔵相 早稲田大学雄弁会
宮澤胤勇 元運輸相 早稲田大学雄弁会
武藤山治 元社会党副委員長 早稲田大学雄弁会
村上勇 元郵政相 早稲田大学雄弁会
本村和喜 元科技政務次官 立命館大学弁論部 現存部会とは異なる
守屋栄夫 元衆院議員・元塩竈市長 第一高等学校・東京大学弁論部 緑会弁論部
内藤功 元参院議員 明治大学雄弁部
永井柳太郎 元逓信相 早稲田大学雄弁会
谷田武彦 元衆院議員 早稲田大学雄弁会

地方議会議員
氏名 役職 出身 備考
吉田雄人 横須賀市議会議員 早稲田大学雄弁会
水村篤弘 所沢市議会議員 拓殖大学雄弁会
田中哲 墨田区議会議員 立教大学弁論部
佐藤知一 厚木市議会議員 慶應義塾大学弁論部

学界・法曹界
氏名 役職 出身 備考
河合栄治郎 元東京帝大教授 第一高等学校・東京大学弁論部
矢内原忠雄 元東大総長 第一高等学校・東京大学弁論部
米田吉盛 神奈川大学創設者・元衆院議員 中央大学辞達学会
松下正寿 元立大総長・元参院議員 立教大学弁論部
堂野達也 元日弁連会長 中央大学辞達学会
戸田修三 元中大学長 中央大学辞達学会 元辞達学会会長(顧問)
春日井薫 元明大学長 明治大学雄弁部
岡野加穂留 元明大学長 明治大学雄弁部 元雄弁部部長(顧問)
遠藤光男 元最高裁判事 法政大学弁論部
奥山章雄 元JICPA会長・早大院教授 早稲田大学雄弁会
五百旗頭薫 首都大学東京準教授 第一高等学校・東京大学弁論部 元弁論部部長

マスコミ・文芸
氏名 役職 出身 備考
志賀直哉 作家 学習院大学輔仁会弁論部 旧官立学習院
武者小路実篤 作家 学習院大学輔仁会弁論部 旧官立学習院
鶴見祐輔 元著述家・元厚相 第一高等学校・東京大学弁論部 緑会弁論部
中野正剛 元東方時論社長・元衆院議員 早稲田大学雄弁会
新井明 元日経新聞社長 早稲田大学雄弁会 元全関委員長
三鬼陽之助 経済評論家 法政大学弁論部
若林正人 キャスター 第一高等学校・東京大学弁論部
酒井広 キャスター 法政大学弁論部
船田宗男 フジテレビ解説委員長(役員待遇) 早稲田大学雄弁会
手嶋龍一 作家・元NHKワシントン支局長 慶應義塾大学弁論部
末延吉正 テレビ朝日コメンテーター 早稲田大学雄弁会 全関脱退時の雄弁会幹事長
黒岩祐治 フジテレビキャスター 早稲田大学雄弁会
三遊亭らん丈 落語家・町田市議 立教大学弁論部
清水一憲 作家・NPO法人理事長 平成国際大学平成言論会
金子洋一 元・民主党総支部長 第一高等学校・東京大学弁論部

経済界
氏名 役職 出身 備考
武藤山治 元鐘紡社長・元衆院議員 慶應義塾大学弁論部
堤康次郎 西武グループ創設者・元衆院議長 早稲田大学雄弁会
三森良二郎 元日本共同証券会長・元日銀理事 第一高等学校・東京大学弁論部
樋口廣太郎 元アサヒビール会長 京都大学弁論部(現在は廃部)
三谷康人 元カネボウ薬品会長 慶應義塾大学弁論部
中村幸昭 鳥羽水族館館長 専修大学雄弁会(現在は廃部)
神蔵孝之 イマジニア社長 早稲田大学雄弁会
藤田仁 元大東京火災海上保険専務取締役 早稲田大学雄弁会
今井信吾 元三井住友海上きらめき生命社長 中央大学辞達学会 辞達学会OB会長
小池恒 オリコン社長 明治大学雄弁部

2009年01月28日

日清戦争に至るまで500年に渡り

日清戦争に至るまで500年に渡り、李氏朝鮮は中華王朝たる明および清の冊封体制の中にあり、中華王朝に事大の礼をつくしていた。朝鮮の君主は中華王朝の皇帝を世界でただひとりの天子として敬い、皇帝に対する朝貢や、朝鮮に対する使節の歓待を礼を尽くして行い、「東方礼儀之国」と呼ばれた。このような思想を朝鮮の人々に浸透させるイデオロギーとして儒教が活用され、儒教の本場として中華王朝には敬意が払われた。とくに日本軍の侵攻に際して明が援軍を出して助けたことは「再造の恩」と呼ばれ、17世紀には実力で屈服させられている清よりも恩のある明を敬うべきとする議論がなされる。事実、明から下賜された諡号は公式記録に残しているが、清に恭順した16代の仁祖以降は清から下賜された諡号を外交文書を除き、朝鮮王朝実録を始めとする全ての公文書から抹消し国内では隠していた[2]。
オシロイ ガゼル ラッコ メント ハイジ 坊っちゃん 情報ロー リウム チェック ロビー のりくら サジー ブラスリ ヒーメン サルタ ビエン ルール ユーレ マドロス ビスチェ シャング クノッソス セルモーター バルセロナ ワードパワ リセッショ ギター ヒアリ アーユル 四季の月 ハウス シーズンズ ソング ソグド ファム 歌姫情報 ケロイ ギガス カップル ナビラム ナタデ トライ タキオ コップ すなごけ パフューマー スポンジ プレビ セレク ネフレ

事大主義をとっていた李氏朝鮮では、中華王朝の人間は例え犯罪者でも裁くことができず、本国へ丁寧に輸送すべきものとされていた[3]。そのため後期倭寇最盛期には明人倭寇を討ち取ってしまい処罰される者が出るほどであった[4]。

朝鮮が朝貢していた明や清の皇帝からはしばしば使節が派遣されるが、このとき朝鮮王みずからが皇帝の勅使を歓待して、皇帝に臣従する意を確認する儀礼が行われた。この儀礼のために漢城の郊外につくられたのが慕華館・迎恩門であり、国王は使節が漢城に至ると慕華館で出迎えて礼を尽くす慣わしであった。後に李氏朝鮮と清の冊封関係が終わると、慕華館は独立館となり、迎恩門は破壊された(後述)。

中国以外の国との関係
中国以外の国や民族に対しては、自身を中華世界の上国として位置付け、交易や政治関係において朝鮮国王への服従を要求する擬似朝貢体制をとった。明が滅び清が興ると中原の中華文明は滅んだとみて、朝鮮が中華文明の正統な継承者だと考えるようになった。いわゆる小中華思想である。

南の日本人に対しては、倭寇を防ぐために、交易を認めた者も倭館と呼ばれる居留地への居住を義務付け、きびしく取り締まった。倭館ははじめ富山浦(釜山)、乃而浦(鎮海)、塩浦(蔚山)の三浦にあり、三浦倭館と呼ばれたが、1509年に起こった三浦の乱やその後の倭寇事件で釜山一港に限定された。また1592年に勃発した文禄・慶長の役によって日朝の国交は断絶したが、財政の存立を朝鮮貿易に依存していた対馬藩は国書を偽造するなどして(柳川一件)1607年日朝の国交が回復し、釜山に倭館新設も認められた。日本使節のソウル上京は認められなかったが、将軍の代替わりを祝賀する朝鮮通信使が江戸を訪問し、対馬藩による釜山貿易も江戸時代を通じて続いた。朝鮮国王と日本の将軍の関係は、室町時代に足利氏が明から日本国王として冊封されたこともありおおむね対等として扱われたが、対馬藩主の宗氏は朝鮮に対して朝貢に近い服属儀礼を要求され、釜山の倭館では国王に対する拝礼の儀式が行われていた。

また、半島の北の満州(マンチュリア)に住んでいた女真人とは紛争が繰り返されるとともに交易も行われていたが、彼らは日本人以上に組織化されていなかったこともあり、より朝貢に近い儀礼関係を結ばせていた。しかし、女真は同時に明に対しても服属していたため、朝鮮が女真に対して朝貢させていたことを明が咎めたこともある。朝鮮政府は女真を「胡」だとして「オランケ」と呼び、蔑視の対象にしていた。それだけに、17世紀に女真の建てた後金(のち清)に武力で服属させられ、さらに清に明が滅ぼされたことは朝鮮の思想界に大きな衝撃と影響を残すことになり、小中華思想となって表れた。

このような状況であったため、西欧人に対する反発はより強く、中国と日本、それに琉球王国などを除けば長く鎖国状態であった。朝鮮にとっては、西洋人は「禽獣」であって人間としても扱われなかった。

近代の外圧
19世紀末期になると、朝鮮は西洋諸国や日本からの介入を受けるようになるが、とりわけ日本の干渉は日清戦争・日露戦争を通じて随一のものとなり、最終的に朝鮮を植民地化するに至る。朝鮮は、西洋化を推し進めた日本人のことを「禽獣の服を着、禽獣の声を真似する」とまで侮蔑するようになった。

日清戦争において日本が清を朝鮮から駆逐すると、日本と清の間で締結された下関条約によって朝鮮と清との伝統的宗属関係は終りを告げた。その象徴としての迎恩門も破壊され、代わりに独立門が建てられた。朝鮮は日本の強い影響下に置かれるが、みずから皇帝を称する大韓帝国に国号を改めるなど自主独立の道を探る努力も続けられた。しかしその後も日本の強い干渉や日露間の対立などに巻き込まれ、最終的に1910年に朝鮮は日本に併合され植民地となった。

社会階層
朝鮮の社会は、中国式の戸籍制度によって社会階層は細分されていた。

戸籍上の身分は、当初は良民と賤民(奴婢・白丁)に大きく分かれていただけであったが、良民の中でも科挙を受けられる余裕を持つ階級とそうでない階級に次第に分化していった。その結果、良民は両班(科挙官僚を輩出する階層)・中人(技術職を輩出する階層)・常人(一般の農民)と言う3つの階層に細分化される。

儒教を尊び、仏教を弾圧していたため、僧侶や工人、商人などは常人より低い地位に置かれていた。さらにその下層にある賤民階層は、李氏朝鮮初期の比率で人口の30%程度ほどを占めた。

社会階層は完全に固定されていたわけではなく、例えば中人から両班に上昇する家族もあったことが分かっている。事実、19世紀後半には両班の占める割合が70%に達した地域もあった。

民族構成
民族面では、建国の時点で朝鮮国内の北部にかなりの数の女真人が住んでいたが、李氏朝鮮王朝は彼等を国民として正当に扱うことはなく、国外の女真と同じように激しい蔑視や差別、迫害の対象であった。彼らは朝鮮政府と国外の女真との関係が悪化すると追放されることもあったが、次第に朝鮮人へ同化させられていったと思われ、この過程に於ける混血や言語的影響については詳しいことは分かっていない。朝鮮末には朝鮮民族の均質化が進み、19世紀には逆に朝鮮民族が国境を越えて清やロシアの領域に移住していった。このような民族均質化の結果、王朝末期から現在にかけての朝鮮・韓国社会で少数派の民族コミュニティを形成しているのは華僑のみとなっている。なお現在の北朝鮮はしばしばナショナリズム高揚のため、「単一民族国家」を強調しており、韓国でも保守派、民族主義者を中心に根強く「単一民族国家」という意識が残存している。

経済
朝鮮半島では、李氏朝鮮王朝の時代になるとそれまで進展していた経済の発展にきわめて強い規制がかかった。朝鮮王朝のイデオロギーである儒教主義では商人は極めて卑しいものとされたためであった。そのため本格的な貨幣制度がなかなか定着しなかった。李氏朝鮮王朝も何度か貨幣制度の導入を行ったものの、商人を卑しむ儒教イデオロギーを無傷で温存したため根本的な解決はできなかった。

第4代世宗の時代に入り、金属貨幣である「朝鮮通宝」が発行され、本格的な貨幣経済への重要な一歩を示したが、流通量は少なく、秀吉の侵略や清の侵攻で国内の産業基盤がズタズタにされたことで意図したほどの効果は上がらなかった。17世紀後半に至って「朝鮮通宝」の代わりに「常平通宝」を鋳造し、再び貨幣経済を振興させようとするが、金銀などを使用した高額貨幣の流通は余りにも微少だった。また造幣を行う役人によって銅が横流しされ、その分を鉛で補っていたために市中でも貨幣に対する信頼度は低かった。

とはいえこのような制約の中でも李氏朝鮮王朝後期の18世紀、19世紀には商人階級の勃興と富の蓄積、また両班の地位を金で購入することなどが広まり、朝鮮の商業は大きな進歩を見せた。しかしその後も支配者層の儒教イデオロギーに基づく介入が相次ぎ、また19世紀初期の飢饉や反動政治などもあって、朝鮮における商業の発展は非常に障害が多かった。その発展度は日本、中国に遠く及ばなかった。李氏朝鮮末期に至っても物々交換は完全になくなったわけではなく、村落部を中心に残存していた。李氏朝鮮末期に至り西洋、中国、日本などの銀貨が流通し始める事によって、交易を行う釜山などを中心とした高額貨幣の流通量が増大するが、それまでは極端な場合100円銀貨に相当する貨幣を運搬するのに馬1頭を使わなければならないこともあるなど、非常に不便を強いられていた。工業においても商業と同様、人を雇って分業で何かを生産するような企業は全くの未発達で個人や家族での活動に限られていた。

李氏朝鮮時代の交易は、中国との朝貢貿易、対馬を介した日本との交易、琉球との交易が中心であった。中国の朝貢貿易の主力は朝鮮人参、貂皮、海獺皮、昆布、日本から輸入した銀などであり、代わりに塩・生糸・絹織物などを輸入していた。対馬との交易は、中国から輸入した生糸や絹織物、木綿、朝鮮人参、穀類などを輸出し、代わりに銀や銅を大量に輸入していた。対馬との貿易のピークは18世紀中頃であり、金額ベースで、日清・日蘭貿易をしのいでいたと言われる。しかし、日本銀の生産量が激減すると江戸幕府は中国への銀輸出を規制すると共に自給自足政策を奨励したため、17世紀後半には木綿は自給できるようになり、また生糸、朝鮮人参に関しては18世紀後半に自給体制を整えたために朝鮮から日本への輸出品目から外れた。また、1750年には朝鮮への銀輸出禁止令が江戸幕府から発布され、対馬との間の交易は以後限定的なものとなった。

About 2009年01月

2009年01月にブログ「小さな太陽」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年12月です。

次のアーカイブは2009年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35